Facebook「フィルターバブルは僕らのせいじゃないよ」
おひさしぶりです。
すったもんだありましたが、わたしは元気です。
今回は個人的にずっと注目してる「Filter Bubble (フィルターバブル) 」のお話です。
ニュースや広告、何でもかんでも精巧なアルゴリズムに基づいてフィルタリングされちゃう時代。「この製品が好きだろ?」とか「こういう意見が読みたいんでしょ?」みたいに至れり尽くせりな状態になると、人々の価値観や意見がアルゴリズムによって形成されてしまいます。これをフィルターの泡(bubble)に閉じ込められてしまうという意味でfilter bubble (フィルターバブル) と呼んでいます。
2012年にこんな本も出てます。誰かプレゼントしてください。洋書高いよう。
で、そんなfilter bubbleに関する調査をfacebookが行ったところ、
その結果に対して専門家たちは???ってなってます。
「Facebookによるフィルターバブルの研究に対して疑問が挙がる」
Facebookは次のように述べています。
“establishes that … individual choices matter more than algorithms”
(個人の選択はアルゴリズムよりも影響力がある)
つまりfacebookのアルゴリズムがフィルターバブルを作り上げているという批判は的を射ていない、という立場。
ですが、この調査に専門家はたくさんの問題点を指摘してます。まず一つ目の問題は
the study only looked at a tiny fraction of the total Facebook user population: less than 4% of the overall user base
(調査はFacebookユーザーのほんの一部しかみていない。全体の4%にも満たない)
また対象者は政治的な立場を明らかにしている人のみだったらしい。ちなみに保守派(conservative)についてはアルゴリズムの影響力<個人の選択という式が成りたつ一方で、リベラル派の場合は
Facebook’s own data shows that exposure to different ideological views is reduced more by the algorithm (8%) than it is by a user’s personal choice.
(Facebookのデータによると、個人の選択よりもアルゴリズムによって異なる意見や見解に触れる機会は8%も減少していた。)
これより大きな問題があるらしいです。
The biggest issue is that the Facebook study pretends that individuals choosing to limit their exposure to different topics is a completely separate thing from the Facebook algorithm doing so.
(最も重要な問題は、なじみのないトピックに触れる機会を減らす上で、個人の選択とFacebookのアルゴリズムを別々のものとして捉えていること。)
つまりアルゴリズムはそもそも個人の選択にもとづいているのだから、ここを分けて考えるのは駄目なんじゃね?ってこと。これは確かにって感じです。
ミシガン大学の准教授はこの調査を”not our fault study (わたしのせいじゃないよ調査)”と、皮肉をたっぷり込めて呼んでいます。
さらにこの記事の終わりでは科学研究において致命的な「再現性」がこの研究には欠けていることが指摘されています。facebookによってデータへのアクセスを許可された研究者しかこの研究を再現することは出来ないからです。何じゃそれ。
せっかく優れた頭脳を雇えるんだから、もっと真っ正面から本気で研究してほしいと個人的に思う。結果的にfacebookがフィルターバブルを作り出してることが明らかになったとしても、正直に自社のサービスに向き合う上でプラスだし印象も爆上げなんだけどなー。
トピックとは直接関係ないけども、英語と日本語によって泡(bubble)という言葉がもつイメージが全然ちがって面白い。英語だと良くも悪くも安心できて退屈なゆるーい空間みたいな感じで live in a bubbleとか言ったりする。でも日本語では泡(bubble)イコールいつか弾けちゃう儚いものみたいなイメージがある気がする。泡のなかで生きてる感じがするんだよねーとか言われたら、おい大丈夫かと思ってしまいそう。
久しぶりなので長めに書けて満足。
ではまた